「ヒステリー」という言葉は、日常会話の中で、感情が激しく乱れたり、我を忘れて興奮したりする様子を表現する際によく使われます。
「あの人はすぐにヒステリーを起こす」といった言い回しを聞いたことがあるかもしれません。
しかし、この言葉が持つ一般的なイメージは、精神医学の文脈で使われる「ヒステリー」が指す状態とは必ずしも一致しません。
精神医学において「ヒステリー」は、かつて単一の疾患名として使われていましたが、現代では診断基準の改訂を経て、主に「解離性障害」や「変換症(転換性障害)」といった疾患群に含まれるさまざまな症状を指す総称的な言葉として捉えられています。
これらの状態は、多くの場合、本人にとって耐え難い心理的なストレスやトラウマに対する無意識的な反応として現れます。
この記事では、「ヒステリーとは」という疑問に対し、その一般的な意味合いから精神医学的な定義、具体的な症状、原因、歴史、関連用語、そして本人や周囲ができる対処法、さらには専門機関への相談について、詳しく解説します。
ヒステリーについて正しい知識を得て、誤解をなくし、適切な理解と対応ができるようになることを目指します。
ヒステリーの一般的な意味と精神医学的定義
一般的な「ヒステリーを起こす」の意味
日常会話で「ヒステリーを起こす」と言う場合、それはしばしば、感情的なコントロールを失い、激しい怒りや興奮、泣き叫ぶ、感情的に爆発するといった状態を指します。
論理的な思考ができなくなり、衝動的な言動が見られることもあります。
例えば、思い通りにならない状況に対して、大声を出したり、物を投げたり、泣きわめいたりする様子を表現する際に使われることがあります。
このような一般的な用法は、特定の精神疾患の診断名としてではなく、一時的な感情の乱れや、強いストレス下での反応、あるいは未熟な感情表現などを広く含んだ、比較的大雑把な表現として使われています。
このため、日常で「ヒステリー」と呼ばれる状態のすべてが、精神医学的な診断を必要とするわけではありません。
しかし、感情の激しい起伏やコントロール困難が頻繁に起こり、日常生活や対人関係に支障をきたしている場合は、その背景に何らかの心理的な問題を抱えている可能性も考えられます。
精神医学におけるヒステリー(解離性障害・転換性障害)とは
精神医学の歴史において、「ヒステリー」は長い間、非常に重要な概念でした。
特に19世紀末から20世紀初頭にかけて、シャルコーやフロイトといった著名な精神科医や心理学者がヒステリーの研究に力を注ぎ、精神分析学の発展にも大きく寄与しました。
当時は、身体的な原因が見当たらない麻痺や失明、健忘、多重人格といった症状を「ヒステリー」と診断することがありました。
しかし、この概念は曖昧さや診断基準の不明確さ、そして「女性特有の病気」という誤解に基づくスティグマ(偏見)が問題視されるようになり、現代の主要な精神医学診断基準であるDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)やICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)では、「ヒステリー」という単一の診断名は使用されていません。
現在、かつて「ヒステリー」と呼ばれていた症状の多くは、主に以下の二つの疾患群に含まれて診断されます。
- 解離性障害(Dissociative Disorders):
意識、記憶、同一性、知覚、感情、行動、身体表象、運動制御などの統合が障害される状態です。
普段はスムーズに統合されているこれらの機能が、一時的または持続的に分離(解離)してしまうことで起こります。
解離性健忘、解離性遁走(とんそう)、離人症/現実感喪失症、解離性同一性障害などが含まれます。
強いストレスやトラウマ体験との関連が深いとされています。 - 変換症(転換性障害)(Conversion Disorder / Functional Neurological Symptom Disorder):
心理的な要因(ストレスや葛藤)が、運動機能(麻痺、振戦、歩行障害など)や感覚機能(失明、難聴、知覚麻痺など)といった身体症状に「変換」されて現れる状態です。
神経学的な疾患や他の身体的な医学的状態では十分に説明できない症状であり、意図的に症状を作り出しているわけではありません。
この障害も、耐え難い状況からの無意識的な逃避や、葛藤の象徴的な表現として理解されることがあります。
つまり、精神医学における「ヒステリー」とは、特定の診断名ではなく、心理的な原因によって生じる解離症状や身体症状(転換症状)といった、多様な精神・身体機能の障害を包括的に指す、歴史的な概念や一般的な言葉遣いとして残っている側面が強いと言えます。
現代の専門家は、より具体的な診断名(解離性障害や変換症など)を用いて状態を評価します。
ヒステリーの症状
精神医学において「ヒステリー」と呼ばれてきた状態は、解離性障害や変換症として多様な症状が現れます。
これらの症状は、心理的な要因、特にストレスやトラウマと深く関連しており、本人の意識的なコントロール下にはありません。
精神症状(解離症状・転換症状)
解離症状や転換症状の一つとして、感覚機能の障害が現れることがあります。
これは、身体的な神経や感覚器官に問題がないにも関わらず、知覚が麻痺したり、完全に失われたりする状態です。
解離性知覚麻痺・知覚脱失
- 解離性視覚障害:
- 失明: 全く目が見えなくなる。
- 視野狭窄: 視野が極端に狭くなる。
- 複視: 物が二重に見える。
- 解離性聴覚障害:
- 難聴: 音が聞こえにくくなる、または全く聞こえなくなる。
- 解離性触覚・痛覚障害:
- 特定の部位や広範囲にわたって触覚や痛覚が感じられなくなる(知覚麻痺・知覚脱失)。
- 感覚が過敏になる場合もある。
- 解離性味覚・嗅覚障害:
- 味や匂いが分からなくなる、または異常な味や匂いを感じる。
これらの症状は、心理的なストレスや葛藤から自分を守るための無意識的な反応と考えられています。
例えば、見てはいけないものを見たトラウマ体験の後で失明したり、聞きたくない言葉を聞いた状況で難聴になったりすることがあります。
症状の現れ方は神経学的な異常のパターンとは異なることが多く、例えば手袋や靴下のように、特定の部位が境界線をもって感覚がなくなる「手袋靴下型知覚麻痺」などが見られることがあります。
解離性転換障害による身体症状(運動機能・感覚機能)
変換症(転換性障害)は、心理的な葛藤が身体の随意運動機能や感覚機能の障害として現れることが特徴です。
これは「身体化」の一種と考えることもできますが、特に運動や感覚に関わる機能障害が顕著な場合に変換症と診断されます。
- 運動機能の症状:
- 麻痺: 手足や体の一部が動かせなくなる(運動麻痺、不全麻痺)。
- 振戦(震え): 意図しない体の震え。
- 歩行障害: 足がもつれる、立てない、奇妙な歩き方になるなど。
- 失立失歩: 立つことも歩くこともできないが、寝た状態では手足が動かせる。
- 筋力低下: 特定の筋肉の力が弱まる。
- 発声困難(失声症): 声が出せなくなる、またはかすれ声になる。
- 嚥下困難: 食べ物や飲み物を飲み込みにくくなる。
- けいれん発作(心因性非てんかん性発作 PNEA): てんかん発作のように見えるが、脳波異常を伴わない心理的な要因による発作。
意識が保たれていたり、特定の状況でのみ起こるといった特徴がある。
- 感覚機能の症状:
- 前述の解離性知覚麻痺・知覚脱失と同様、視覚、聴覚、触覚などの感覚が障害されます。
これらの身体症状は、医学的な検査では異常が見つからず、神経学的な疾患では説明がつかない形で現れます。
例えば、ある特定の状況や人物の前でのみ声が出なくなる、といったように、症状が心理的な文脈と関連していることがしばしば観察されます。
症状は本人の意思とは関係なく起こり、意識してコントロールすることはできません。
その他の精神症状(感情のコントロール困難など)
解離性障害や変換症といった状態の他にも、かつて「ヒステリー」と呼ばれていた症状には、感情の激しい起伏やコントロール困難が含まれることがあります。
- 感情の不安定さ: 気分が急激に変化し、些細なことで激しく怒ったり泣いたりする。
- 感情の爆発: 日常的なフラストレーションやストレスに対して、感情がコントロールできなくなり、大声を出したり、泣き叫んだり、衝動的な行動をとる。
これは、日常会話で「ヒステリーを起こす」と言われる状態に比較的近いかもしれません。 - 演技的・誇張的な言動: 周囲の注目を集めるような、劇的で感情を大げさに表現する傾向が見られることがある。
- 暗示にかかりやすい: 他者の意見や場の雰囲気に影響されやすく、容易に特定の感情や行動を引き起こされることがある。
- 対人関係の不安定さ: 感情の激しさや衝動性から、対人関係が不安定になりやすい。
- 自己愛的な傾向: 自分への注目を強く求めたり、賞賛を欲したりする傾向が見られることがある。
- 空虚感や自己同一性の混乱: 特に解離性障害に関連して、自分が誰であるかわからなくなったり、自分の感覚が現実離れしているように感じたりする。
これらの症状は、単独で現れることもあれば、解離症状や転換症状と併存することもあります。
特に感情のコントロール困難は、本人が強い苦痛を感じるだけでなく、周囲との関係性にも大きな影響を与えるため、適切な理解とサポートが必要です。
これらの症状が特定の精神疾患(例:境界性パーソナリティ障害、気分障害など)の一部として現れている場合もあります。
ヒステリー症状の性別による傾向(特に女性について)
歴史的に「ヒステリー」は女性特有の病気と考えられてきました。
古代ギリシャの「hysterā」(子宮)に由来する語源が示すように、子宮に関連する女性の病気と見なされ、この考え方は長い間続きました。
近代精神医学の初期においても、特に身体症状(麻痺、失明など)を伴うヒステリーは女性に多く見られると報告されていました。
これは、当時の社会的背景や性別による役割、感情表現の許容度などが影響していたと考えられます。
女性が感情や不満を直接的に表現することが難しかった時代に、身体症状という形で無意識的に心理的な苦痛を表出していたのではないか、といった解釈もされています。
現代の精神医学的知見では、解離性障害や変換症は性別に関わらず発症する可能性があるとされています。
しかし、疫学的な調査によっては、特定の解離症状や変換症状(例:非てんかん性発作)において女性の報告が多いという傾向が見られることもあります。
これは、生物学的な性差だけでなく、社会的・文化的な要因(ジェンダー役割、トラウマ体験の種類や頻度など)が影響している可能性が指摘されています。
重要なのは、「ヒステリー」的な症状が女性特有の疾患ではないこと、そして性別による診断の偏見を持つべきではないということです。
男性も女性も、同様に心理的なストレスやトラウマに対する反応として、解離症状や転換症状を経験する可能性があります。
症状が現れた際には、性別に関わらず、その背後にある心理的な要因や苦痛に目を向け、適切に評価・支援することが必要です。
ヒステリーの原因
精神医学における解離性障害や変換症は、単一の原因によって引き起こされるわけではなく、複数の要因が複雑に絡み合って発症すると考えられています。
最も重要な要因は、心理的なストレスやトラウマ体験です。
心理的要因(ストレス、心的外傷、葛藤)
解離性障害や変換症の発症には、強い心理的な負荷が大きく関与しているとされています。
- 心的外傷(トラウマ):
- 特に、幼少期における身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、深刻な事故、災害、親との死別といった体験は、後の解離性障害や変換症のリスクを高めることが知られています。
耐え難い恐怖や苦痛に直面した際、それを乗り越えるための無意識的な防衛機制として、「解離」が生じやすいと考えられています。
例えば、虐待を受けている最中に現実感がなくなったり、体が自分のもののように感じられなくなったりすることで、その体験から心理的に距離を置こうとする反応です。
この解離傾向が、慢性的になったり、成人してからも続くことがあります。 - 変換症においても、心的外傷体験の後や、強いストレスのかかる状況下で発症することが多く見られます。
心理的な苦痛を直接的に表現することが困難な場合に、身体症状という形で無意識的に表出されると考えられています。
- 特に、幼少期における身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、深刻な事故、災害、親との死別といった体験は、後の解離性障害や変換症のリスクを高めることが知られています。
- 耐え難いストレス:
- トラウマと呼べるほどのものでなくても、長期にわたる過度のストレスや、逃れることのできない困難な状況(例:いじめ、ハラスメント、家庭内の慢性的な対立、経済的困窮など)も、解離症状や転換症状を引き起こす要因となり得ます。
- 解決できない心理的な葛藤:
- 相反する感情や欲求の間で揺れ動き、どちらかを選ぶことができない、あるいは受け入れがたい状況にあるといった心理的な葛藤も、無意識的に症状を作り出す原因となることがあります。
例えば、ある行動を取りたいが、それに対する強い罪悪感や恐怖心がある場合、その葛藤が身体症状として現れるといったケースが考えられます。
- 相反する感情や欲求の間で揺れ動き、どちらかを選ぶことができない、あるいは受け入れがたい状況にあるといった心理的な葛藤も、無意識的に症状を作り出す原因となることがあります。
これらの心理的な要因は、個人の脆弱性(生まれ持った気質や過去の経験などによる影響の受けやすさ)と組み合わさることで、症状の発症につながります。
必ずしも強いストレスを受けた人全員がこれらの症状を発症するわけではなく、その人のストレスへの対処能力や、周囲からのサポートの有無なども影響します。
性格的要因(ヒステリー性格の特徴)
かつて精神医学では、特定の性格傾向を持つ人がヒステリーを発症しやすいと考えられ、「ヒステリー性格」という言葉が使われることがありました。
これは正式な診断名ではありませんが、以下のような特徴が挙げられることがありました。
- 感情的で劇的な表現: 自分の感情を大げさに表現したり、劇的な言動で周囲の注目を集めようとしたりする。
- 暗示にかかりやすい: 他者の意見や場の雰囲気に流されやすく、容易に影響を受ける。
- 自己中心的: 自分の欲求や感情を優先し、他者の感情や状況への配慮が欠けがち。
- 現実逃避傾向: 不快な現実や問題から目をそらし、ファンタジーの世界に逃避したり、非現実的な考えにふけったりする。
- 依存傾向: 他者に依存し、一人で物事を決めることや行動することが苦手。
- 表面的な人間関係: 親密な関係を築くのが苦手で、表面的な付き合いが多くなる。
- 性的な誘惑性: 異性に対して過度に誘惑的な態度をとることがある。
これらの性格的特徴は、特に「演技性パーソナリティ障害(旧:ヒステリー性パーソナリティ障害)」の特徴と重なる部分が多いです。
ただし、「ヒステリー性格」とされる特徴を持つ人が必ずしも解離性障害や変換症を発症するわけではありませんし、これらの疾患を発症する人が必ずしもこれらの性格特徴を持つわけでもありません。
現代の精神医学では、特定の疾患と特定の性格を安易に結びつけることは少なくなっており、むしろ、個々の症状がその人の全体的な心理的な状態や背景とどのように関連しているかを総合的に理解しようとします。
しかし、感情を表現するパターンや対人関係のスタイルといった性格的な傾向が、ストレスへの対処の仕方や症状の現れ方に影響を与える可能性はあります。
例えば、感情を抑圧しやすい人よりも、感情を激しく表出しやすい人のほうが、日常的な意味での「ヒステリー」的な状態を起こしやすい傾向があるかもしれません。
近年では、発達障害(自閉スペクトラム症、ADHDなど)の特性を持つ人が、定型発達の人とは異なるストレス反応を示し、解離症状やパニックを起こしやすいといった関連性も研究され始めています。
ただし、これも特定の特性が直接的な原因となるわけではなく、特性ゆえに社会生活で経験しやすい困難やストレスが要因となるという視点が重要です。
ヒステリーの歴史と語源
「ヒステリー」という言葉は、その概念が形成されてきた歴史的背景を知ることで、現代における理解をより深めることができます。
この言葉の語源は非常に古く、その医学的な捉え方は時代とともに大きく変化してきました。
「ヒステリー」という言葉の由来
「ヒステリー」という言葉は、古代ギリシャ語の「hysterā(ὑστέρα)」に由来します。
この言葉は「子宮」を意味します。
古代ギリシャの医師、特に医学の祖とされるヒポクラテス(紀元前4世紀頃)の時代には、「ヒステリー」は女性特有の疾患と考えられていました。
当時の医学説では、子宮が体内を本来の位置からさまよい、体中の様々な部分を圧迫したり塞いだりすることで、多様な身体症状や精神症状を引き起こすとされていました。
この「さまよう子宮」説は、当時の解剖学や生理学の知識が限られていた中で生まれた考え方ですが、中世を経て近代まで一定の影響力を持ち続けました。
この語源からもわかるように、「ヒステリー」という言葉自体が、歴史的に女性と深く結びつけられてきました。
これは、女性の生理的な特徴(月経や妊娠など)と、原因不明の身体症状や感情的な不安定さを安易に結びつけて理解しようとした結果であり、現代から見れば科学的な根拠を欠いた、性別に基づく偏見を含むものでした。
医学概念の変遷
「ヒステリー」の医学概念は、時代とともに大きく変遷してきました。
- 古代~中世: 「さまよう子宮」説が支配的で、女性特有の病気と見なされる。
原因不明の身体症状や精神症状は、子宮の異常に起因すると考えられた。 - 近代初期: 17世紀頃から、「さまよう子宮」説は徐々に否定されるようになるが、依然として女性に多い疾患、あるいは「神経の病気」として捉えられた。
18世紀後半には、男性にもヒステリー様の症状が現れることが認識され始める。 - 19世紀: 精神病理学が発展する中で、ヒステリーは心因性の疾患として注目されるようになる。
- フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーは、パリのサルペトリエール病院でヒステリー患者を多数診察し、その多様な症状(麻痺、失明、けいれんなど)を系統的に研究した。
彼は催眠を用いた実験を行い、ヒステリー症状が暗示によって誘発されたり消えたりすることを示し、ヒステリーが器質的な病気ではなく、神経系の機能的な障害や心理的な影響によるものであることを示唆した。
彼の研究は、精神的な要因が身体に影響を与えることを医学的に証明しようとする試みとして画期的だった。 - シャルコーのもとで学んだジークムント・フロイトは、ヒステリーの研究から精神分析学の理論を構築した。
彼は、ヒステリー症状は抑圧された心的エネルギー(性的衝動やトラウマ体験など)が身体的な症状に「変換(コンバージョン)」されて現れると考えた。
無意識の葛藤や幼少期の経験が症状の原因であるとし、自由連想法や夢分析といった精神分析的手法による治療を試みた。
フロイトの理論は、ヒステリーを理解する上で心理的な側面、特に無意識の役割を重視する道を切り開いた。
- フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーは、パリのサルペトリエール病院でヒステリー患者を多数診察し、その多様な症状(麻痺、失明、けいれんなど)を系統的に研究した。
- 20世紀: フロイト以降も精神分析的なヒステリー理解は続いたが、他の精神療法の発展や、より科学的な診断基準を求める声が高まる。
- 診断基準の整備が進む中で、「ヒステリー」という包括的な用語の曖昧さが問題視されるようになる。
- アメリカ精神医学会が発行するDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の改訂が進むにつれて、「ヒステリー」という診断名は段階的に廃止されていった。
DSM-Ⅲ(1980年)では「解離性障害」「身体化障害」「転換性障害」といったより具体的な診断名に細分化され、DSM-IV(1994年)を経て、現在のDSM-5(2013年)では「解離性障害群」と「身体症状症群」にそれぞれ分類されています。
変換症は、DSM-5では「変換症/機能性神経症状症(Conversion Disorder / Functional Neurological Symptom Disorder)」として位置づけられています。
このように、「ヒステリー」という言葉は医学の歴史と共に歩んできましたが、その概念は進化し、より科学的で詳細な診断分類へと置き換わってきました。
しかし、日常会話や文化的な文脈では依然として使われており、その歴史的背景を知ることは、現代の解離性障害や変換症への理解を深める上で有益です。
ヒステリーに関連する用語
「ヒステリー」という言葉は、文脈によって様々な意味で使われたり、関連する他の言葉と混同されたりすることがあります。
ここでは、ヒステリーに関連するいくつかの用語について解説します。
集団ヒステリーとは
「集団ヒステリー」とは、特定の集団の中で、心理的な要因によって似たような身体症状や行動が、器質的な原因がないにも関わらず、次々と広がる現象を指します。
- 特徴:
- 特定の場所(学校、工場、職場など)や状況で発生しやすい。
- 症状は、吐き気、めまい、頭痛、呼吸困難、けいれん、一時的な麻痺、声が出なくなるなど、身体的なものが多いが、感情的な興奮やパニックが広がる場合もある。
- 器質的な原因が見当たらない。
- 暗示や同調性(他の人が症状を起こしているのを見て、自分も同じような症状が現れる)が強く影響する。
- 情報伝達(噂、メディア報道など)によって助長されることがある。
- 発生メカニズム:
- 集団内で不安やストレス、あるいは強い感情(恐怖、興奮など)が高まっている状況下で、誰か一人が何らかの症状を示した際に、それを見た他の人が心理的に影響を受け、同様の症状を経験するというメカニズムが考えられています。
集団内の緊張感や連帯感、権威者(教師や上司など)からの暗示なども影響する可能性があります。
- 集団内で不安やストレス、あるいは強い感情(恐怖、興奮など)が高まっている状況下で、誰か一人が何らかの症状を示した際に、それを見た他の人が心理的に影響を受け、同様の症状を経験するというメカニズムが考えられています。
- 例:
- 学校で特定の匂いや音を感知した生徒たちが次々と倒れたり、体調不良を訴えたりする。
- 工場で原因不明の体調不良が従業員の間で流行する。
- 過去には、特定の有名人のコンサートで観客が興奮のあまり失神する現象などが集団ヒステリーとして語られることもありました。
集団ヒステリーは、病気そのものが伝染するわけではなく、心理的な影響や暗示によって症状が引き起こされる点が特徴です。
多くの場合は一過性ですが、原因の究明や適切な対処が重要です。
パニック障害が集団内で連鎖的に起こる現象や、身体症状症が集団内で増幅される現象として理解されることもあります。
Hysteria(ヒステリーの英語)の意味
英語の「Hysteria」も、日本語の「ヒステリー」と同様に、文脈によって複数の意味で使われます。
- 日常的な意味:
- 一般的な会話では、”Hysteria”は「激しい感情的な興奮」「パニック」「制御できないほどの恐怖や怒り」といった意味で使われることが多いです。
“Mass hysteria”は「集団ヒステリー」を指します。
例:”There was mass hysteria after the announcement.”(発表の後、集団的なパニック状態になった。)
- 一般的な会話では、”Hysteria”は「激しい感情的な興奮」「パニック」「制御できないほどの恐怖や怒り」といった意味で使われることが多いです。
- 精神医学的な意味:
- 精神医学の専門的な文脈では、前述のように”Hysteria”という単一の診断名は使われなくなっています。
かつて”Hysteria”と呼ばれていた状態は、現在では主に”Dissociative Disorders”(解離性障害)や”Conversion Disorder”(変換症/機能性神経症状症)として診断されます。
したがって、英語の医学論文や専門書でこれらの疾患について語られる際には、”Hysteria”という言葉は歴史的な文脈や、古い診断基準を参照する場合に限定されることがほとんどです。
- 精神医学の専門的な文脈では、前述のように”Hysteria”という単一の診断名は使われなくなっています。
英語圏においても、”Hysteria”という言葉は日常会話で広く使われる一方で、精神医学の専門用語としては使われなくなったという点で、日本語と同様の状況にあります。
言葉の持つ歴史的背景や、現在の精神医学的な位置づけを理解しておくことが重要です。
ヒステリーかな?と思ったら(対処・治療・相談先)
もしあなた自身や、あなたの周囲の人が「ヒステリー」的な症状で苦しんでいる場合、どのように対応すれば良いのでしょうか。
ここで言う「ヒステリー」的な症状とは、感情の激しい起伏やコントロール困難、あるいは心理的な原因による身体症状や解離症状などを指します。
これらの症状は、本人にとって大きな苦痛であり、周囲もどのように接すれば良いか戸惑うことが多いものです。
適切な対処法、治療法、そして相談先を知ることが、状況を改善するために非常に重要です。
周囲の人の対処法
「ヒステリー」的な症状を示している人に対して、周囲の人が取るべき基本的な姿勢は、症状を否定せず、本人の苦痛に寄り添うことです。
- 症状を「演技」や「怠け」と決めつけない: 症状は本人が意図的に作り出しているものではなく、無意識的な心理的な反応である可能性が高いです。
症状を非難したり、「気のせいだ」「怠けているだけだ」などと言ったりすることは、本人を深く傷つけ、信頼関係を損なうことになります。 - 冷静に対応する: 症状が激しい場合でも、周囲がパニックになったり、感情的になったりすると、本人の不安を増幅させることがあります。
落ち着いて、穏やかな態度で接するように努めましょう。
ただし、無関心になるのではなく、本人の苦痛を理解しようとする姿勢を示すことが大切です。 - 安全を確保する: けいれん発作のような症状や、衝動的な行動が見られる場合は、本人が怪我をしないように周囲の安全を確保することが最優先です。
必要に応じて、安全な場所に移動させたり、危険なものを遠ざけたりします。 - 症状そのものに過度に注目しない: 症状が出ている間、症状にばかり焦点を当てるのではなく、本人の感情や、その症状の背景にあるであろう状況に目を向けましょう。
本人の話に耳を傾け、感情を受け止めるように努めます。
ただし、症状を煽るような言動は避けましょう。 - 安心できる環境を提供する: 症状が出ているときだけでなく、普段から本人が安心して過ごせるような環境を整えることが大切です。
安心できる人間関係や、ストレスを軽減できるような配慮が有効です。 - 専門家への相談を勧める: 症状が頻繁に起こる、重い、あるいは日常生活に支障をきたしている場合は、本人に専門家への相談を優しく勧めましょう。
「何か辛いことがあるんじゃない?」「一度専門の人に話を聞いてもらわない?」といった形で、サポートを申し出るのが良いでしょう。
本人が抵抗する場合は、まず家族や友人が専門機関に相談し、アドバイスを求めることも可能です。
治療法(精神療法など)
精神医学における解離性障害や変換症の治療は、薬物療法よりも、症状の背景にある心理的な問題や原因に対処するための精神療法(心理療法)が中心となります。
- 精神療法(心理療法):
- 治療の主な目的は、症状を引き起こしている無意識の葛藤や心的外傷に安全な環境で向き合い、それらを乗り越えることです。
- 支持的精神療法: 安心できる関係の中で、本人の感情を受け止め、心理的な安定を図ります。
症状の背景にあるストレスを理解し、共感的に接することで、本人の自己肯定感を高め、問題解決能力を引き出すことを目指します。 - 認知行動療法(CBT): 症状やそれに関連する考え方、感情、行動のパターンを特定し、不適応なパターンをより建設的なものに変えていくことを目指します。
特に、症状に対する不安や恐怖が強い場合に有効です。 - 精神力動的精神療法: 無意識の葛藤や過去のトラウマ体験が現在の症状にどのように影響しているかを、セラピストとの対話を通じて探求します。
抑圧された感情や記憶を意識化し、それらを安全な形で解放・統合することを目指します。 - トラウマに特化した治療法: 心的外傷体験が主な原因である場合、EMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)やトラウマフォーカストCBTなど、トラウマ記憶の処理に特化した治療法が有効な場合があります。
- 解離症状に対するアプローチ: 解離性同一性障害など重い解離症状がある場合は、安全の確保、症状の安定化、トラウマの処理、人格状態の統合、リハビリテーションといった段階的な治療が必要となります。
- 薬物療法:
- 解離性障害や変換症そのものに直接的に効果のある薬物療法はありません。
しかし、これらの疾患に併存して見られることの多い不安障害、うつ病、睡眠障害、パニック発作などに対しては、抗不安薬、抗うつ薬、睡眠導入薬などが対症療法として使用されることがあります。
薬物療法は、精神療法をより効果的に進めるための補助的な役割を果たすことが一般的です。
- 解離性障害や変換症そのものに直接的に効果のある薬物療法はありません。
治療は、個々の症状の性質や重症度、原因、本人の状況に合わせて tailored(調整)されます。
治療には時間がかかる場合が多く、根気強く取り組むことが重要です。
専門機関への相談
「ヒステリー」的な症状で困っている場合、適切な診断と治療を受けるために、専門機関に相談することが最も重要です。
相談できる主な専門機関は以下の通りです。
- 精神科・心療内科クリニック/病院:
- 症状が精神医学的な疾患(解離性障害、変換症、あるいは他の精神疾患)によるものかどうかを正確に診断し、適切な治療計画を立ててもらうことができます。
医師による診察を受け、必要であれば薬の処方や専門的な精神療法を受けることができます。
心理士によるカウンセリングを提供している医療機関もあります。
まずは、お近くの精神科や心療内科を受診してみるのが良いでしょう。 - 選び方のポイント:
- 解離性障害や変換症の診療経験があるか。
- 精神療法に力を入れているか(症状の原因にアプローチするため)。
- 医師やスタッフとの相性。
- 口コミや評判も参考になるが、あくまで情報の一つとして。
- 症状が精神医学的な疾患(解離性障害、変換症、あるいは他の精神疾患)によるものかどうかを正確に診断し、適切な治療計画を立ててもらうことができます。
- 精神保健福祉センター:
- 各都道府県や政令指定都市に設置されている公的な機関です。
精神的な問題に関する相談を電話や面談で受け付けています。
専門の精神保健福祉士などが対応し、症状や困りごとを聞いて、適切な情報提供や助言、医療機関や他の支援機関への紹介などを行ってくれます。
匿名での相談が可能な場合もあります。
- 各都道府県や政令指定都市に設置されている公的な機関です。
- カウンセリング機関(心理専門職):
- 臨床心理士や公認心理師といった心理専門職がカウンセリングや精神療法を提供している機関です。
医療機関とは異なり、診断や薬の処方は行いませんが、心理的な問題に深く向き合い、治療を進めることができます。
医療機関と連携しているカウンセリング機関もあります。
症状の診断がついているが、精神療法を中心に受けたい、といった場合に選択肢となります。
- 臨床心理士や公認心理師といった心理専門職がカウンセリングや精神療法を提供している機関です。
- 公的な相談窓口:
- 各自治体の保健所や健康相談窓口でも、精神的な健康に関する相談を受け付けている場合があります。
また、いのちの電話のような民間の相談窓口も、緊急時やまずは話を聞いてほしいという場合に利用できます。
- 各自治体の保健所や健康相談窓口でも、精神的な健康に関する相談を受け付けている場合があります。
症状に気づいたら、一人で抱え込まず、早めに専門機関に相談することが大切です。
適切な診断と専門家によるサポートを受けることで、症状の改善や、心理的な困難の克服につながる可能性が高まります。
特に、命に関わるような症状(例:嚥下困難による栄養不良)や、自傷・他害のリスクがある場合は、躊躇せずに医療機関を受診してください。
ヒステリーかな?と思ったら、まずは相談してみましょう。
症状のタイプ | 専門機関への相談が推奨されるケース | 最初に相談する場所の例 |
---|---|---|
激しい感情のコントロール困難 | 頻繁に起こる、日常生活や対人関係に支障がある、自分や周囲が困っている | 精神科・心療内科、精神保健福祉センター |
身体症状(麻痺、失明など) | 医学的な検査で異常が見つからないが症状がある、症状が重い(例: 歩けない、食べられない)、繰り返す | 精神科・心療内科(※まず内科などで身体的異常がないか確認後) |
解離症状(健忘、離人感など) | 記憶が頻繁に飛ぶ、自分が自分ではないように感じる、現実感がない、自分が複数いるように感じる | 精神科・心療内科 |
集団ヒステリーと思われる現象 | 集団内で原因不明の症状が広がっている、多くの人が不安やパニック状態になっている | 保健所、精神保健福祉センター、学校や職場の相談窓口 |
その他、漠然とした辛さ | 何か精神的に辛いことがあるが何かわからない、誰かに話を聞いてほしい | 精神保健福祉センター、カウンセリング機関、公的な相談窓口 |
免責事項: この記事は「ヒステリーとは」に関する一般的な情報提供を目的としており、医学的な診断や治療を推奨するものではありません。
もしご自身や周囲の方にこの記事に記載されているような症状が見られる場合は、必ず専門の医療機関を受診し、医師の診断と指導を受けてください。
自己判断での対応は、病状を悪化させる可能性があります。